1886年、創始者である砂本貞吉とJ.W.ランバス、及びその息子であり、
アメリカ南メジスト監督教会の日本宣教部監督であったW.R.ランバス
(関西学院の創始者でもある)の協力のもと、福音の伝道と子女教育を目的に、
流川教会と広島女学院の母体となる家の教会が創られました。
そして翌年5月8日、法人手続きがなされ、正式に流川教会が
日本メソジスト広島中央教会堂」という名称で誕生しました。

 何度か移転した後に上流川町源太堀角に建てられた会堂が、1945年被爆し、
外壁の一部以外は崩壊しました(この様子は今の教会の入り口にあります)が、
戦後、牧師、教会員が協力し、礼拝を守り続け、諸外国からの援助もあり、
会堂は修復されました。

 その後、会堂の老朽化に伴い、1971年に現在の場所に移転しました。

 わたしたち広島流川教会は、「ヒロシマ」にある教会として「平和の教会」との自覚を
もって歩んでいます。被爆50周年・戦後50年の年であった1995年には、被爆し黒焦げに
なった前会堂の十字架と、ひびの入った鐘を礼拝堂に架設し、
それ以来そのもとでこの3つの意味を持って礼拝を守っています。

1)被爆死没者を含む、あらゆる戦争の犠牲者のシンボルとして
2)罪の謝罪と罪の贖いのシンボルとして
3)和解と平和を祈り求めるシンボルとして


わたしたちは、礼拝を中心に平和を実現する者としての力を神様からいただいて、
それぞれの場所に平和の使者として派遣される者であり続けたいと願っています。

 教会として具体的には、他教会との連帯、地域や教区の関係諸施設の働きへの協力、平和祈念行事の実施など行なっています。1997年は、教会創立110周年を契機に、
よりよい礼拝を目指して礼拝式順の確信を行ないました。また、被爆50周年の平和
祈念礼拝に牧師をお招きした上海国際礼拝堂とは姉妹教会として交わりを続けています。