1947年 (昭和22年) |
原爆の廃墟の中で広島市民を励まして欲しいと、広島流川教会にシカゴの リリヤン・コンデット先生(高校音楽教師)より、ヘンデルの「メサイヤ」の楽譜30冊が贈られてきました。 谷本 清牧師、太田司朗は、広島女学院、市内の教会、合唱団に呼びかけ 「メサイヤ合唱団」を組織しました。10月12日から12月の市民クリスマスに向け、太田司朗の指導・指揮のもとメサイヤ第一部を短期間で猛練習をし、広島流川教会で賛美礼拝を行ないました。 当時の教会はやっと屋根が出来上がったころで、床はないころのことです。 印刷製本された楽譜を手にすることのなかった合唱団員は、立派な楽譜で大変な喜びであったようです。(この楽譜は流川教会に保存されています。)また、はじめて英語で歌うことで相当の苦労をされたと聞きました。 伴奏はリードオルガンで、流川幼稚園の伊達 好でした。 (礼拝後、市内行進・・このころは、よく街頭伝道をされたようです。) |
| 1948年 | イースターで、メサイヤの第2部を賛美礼拝。続いて12月「メサイヤ」を中心としたクリスマス賛美礼拝が行なわれました。 指導・指揮太田司朗、独唱については太田司朗の他は名前が不明です。 |
| 1949年 | 広島女学院に宣教師G・ウィルソン(大学音楽担当)が来任 広島流川教会でも奉仕されました。ミセス・ウィルソンは、戦争でご主人を失われましたが、若くてとても美しい方で、みんなの憧れでした。また、先生の音楽への燃ゆるが如き情熱は、多くの聖歌隊・教会員に好い感化を与えられました。 この年は、太田司朗が「メサイヤを多くの人に理解して欲しい」と日本語に訳され、日本語でうたいました。そして、ミセス・ウィルソンの独唱と山上雅庸のピアノ伴奏が加わりました。 |
| 1950年 | 新しく建築された広島女学院高校講堂に、ミセス・ウィルソンの出身地アイオワ州デュビューク教会員の方々から、ハモンド・オルガンが贈られてきました。 ミセス・ウィルソンの指導で、広島女学院高校音楽部・創部されたばかりの広島女学院大学クワイヤ・市内教会聖歌隊で「メサイヤ」の抜粋が演奏されました。この時の指揮者は、山上雅庸でミセス・ウィルソンは、ハモンド・オルガンの伴奏でした。 |