我的後漢書

>>> 後漢列伝 --霊帝宋皇后紀--



靈帝宋皇后諱某,扶風平陵人也,肅宗宋貴人之從曾孫也.建寧三年,選入掖庭為貴人.明年,立為皇后.父鄷,執金吾,封不其郷侯.[一]

靈帝宋皇后諱は某、扶風平陵の人にて、肅宗宋貴人の從曾孫なり。建寧三年、選ばれて掖庭に入り貴人と為る。明年、立てて皇后と為す。父の鄷、執金吾たりて、不其郷侯に封ぜらる。[一]

霊帝の宋皇后は〔諱が分からないため〕諱を某といい、扶風郡平陵県の人で、肅宗の宋貴人の兄弟の曾孫である。建寧3(170)年、選ばれて後宮に入り貴人となった。翌年、〔霊帝は宋貴人を〕皇后とした。父の宋鄷は、執金吾であって、不其郷侯に封ぜられた。[一]

[一] 不其,縣,屬琅邪郡,故城在今萊州即墨縣西南,蓋其縣之郷也.其音基.決録注:「鄷字伯遇.」

[一] 不其は、県で、琅邪郡に属し、故城は今の萊州即墨県の西南にあり、〔不其郷は〕思うにその県の郷である。其の音は基である。決録注にいう。「鄷の字は伯遇である。」


后無寵而居正位,後宮幸姫衆,共譖毀.初,中常侍王甫枉誅勃海王悝及妃宋氏,[一]妃即后之姑也.甫恐后怨之,及與太中大夫程阿共構言皇后挾左道祝詛,[二]帝信之.光和元年,遂策收璽綬.后自致暴室,以憂死.在位八年.父及兄弟並被誅.諸常侍、小黄門在省闥者,皆憐宋氏無辜,共合錢物,收葬廢后及鄷父子,歸宋氏舊塋皋門亭.[三]

后寵無けれど正位に居り、後宮の幸姫衆、共に譖毀す。初め、中常侍の王甫枉らに勃海王悝及び妃の宋氏を誅すも、[一]妃は即ち后の姑なり。甫后の之を怨むを恐れ、太中大夫の程阿と共に構へて皇后左道祝詛を挾むと言ふに及ぶや、[二]帝之を信ず。光和元年、遂に策ちて璽綬を收む.后暴室に致さるるに自り、以て憂死す。位に在ること八年なり。父及び兄弟並びに誅せらる。諸常侍、小黄門にて省闥に在る者は、皆宋氏の辜の無きを憐れみ、共に錢物を合はせ、廢后及び鄷父子を收葬し、宋氏を舊塋たる皋門の亭に歸す。[三]

皇后は寵愛がなかったが正妃としての位にあり、後宮の愛妾らは、共に〔皇后を〕そしった。最初、中常侍の王甫が無実の罪で勃海王の劉悝と王妃の宋氏を誅殺したが、[一]この宋妃というのは皇后のおばにあたる人物であった。王甫は皇后が〔自分を〕恨んでいることを恐れ、太中大夫の程阿と共に皇后にはよこしまな道で呪詛を行う心があると言いなしたところ、[二]霊帝はこれを信用した。光和元(178)年、結局〔皇后を〕むち打って〔皇后の〕印璽と組みひもを没収した。皇后は罪人を収容する部屋に送ってよこされたため、思い悩んで亡くなった。諸々の側仕えや、宦官で王宮内の居所の内側にいる者は、皆宋氏に罪がないことを憐れんで、金を出し合って、廃后宋氏と宋鄷親子の遺体を引き取って埋め、宋氏〔の亡骸〕をもとの墓所である皋門の亭に戻した。[三]

[一] 熹平元年,王甫譖悝與中常侍鄭颯交通,欲迎立悝,悝自殺,妃死獄中也.

[一] 熹平元(172)年、王甫は〔勃海王の〕劉悝が中常侍の鄭颯と互いに通じており、〔鄭颯が〕劉悝を迎え入れて〔皇帝に〕即位させようとしているとそしり、〔このため〕劉悝は自殺し、〔劉悝の〕妃〔宋氏は〕獄中で死んだのである。

[二] 禮記曰:「執左道以亂政,殺無赦.」鄭玄注云:「左道,若巫蠱也.」

[二] 礼記にいう。「よこしまな道を用いて政治を乱す者は、許すことなく殺す。」鄭玄の注にいう。「左道とは、まじないをして人を呪うようなことである。」

[三] 詩云:「迺立皋門.」注云:「王之郭門曰皋門.」漢官儀曰:「十二門皆有亭.」

[三] 詩にいう。「皋門を立てる。」注にいう。「王の町を取り囲む城壁の門を皋門という。」漢官儀にいう。「十二の門には全て亭がある。」


帝後夢見桓帝怒曰:「宋皇后有何罪過,而聽用邪孽,使絶其命?勃海王悝既已自貶,又受誅斃.今宋氏及悝自訴於天,上帝震怒,[一]罪在難救.」夢殊明察.帝既覺而恐,以事問於羽林左監許永[二]曰:「此何祥?其可攘[三]乎?」永對曰:「宋皇后親與陛下共承宗廟,母臨萬國,歴年已久,海内蒙化,過惡無聞.而虚聽讒妒之説,以致無辜之罪,身嬰極誅,禍及家族,天下臣妾,咸為怨痛.勃海王悝,桓帝母弟也.處國奉藩,未嘗有過.陛下曾不證審,遂伏其辜.昔晉侯失刑,亦夢大厲被髮屬地.[四]天道明察,鬼神難誣.宜并改葬,以安冤魂.反宋后之徙家,復勃海之先封,以消厥咎.」帝弗能用,尋亦崩焉.

帝後に夢見て桓帝怒りて曰く「宋皇后何の罪過有らんや、而るに邪孽を聽用し、其の命を絶たしめるか?勃海王悝は既已に自ら貶し、又た誅斃を受けり。今宋氏及び悝自ら天に訴へ、上帝震怒し、[一]罪は救ひ難きところに在り。」夢殊に明察なり。帝既に覺めて恐れ、事を以て羽林左監許永に問ひて[二]曰く「此れ何の祥ひなるか?其れ攘ふべきか[三]?」永對へて曰く「宋皇后は親しく陛下と共に宗廟を承け、母として萬國に臨むこと、歴年にして已に久しく、海内は蒙化し、過惡の聞こゆること無し。而るに虚しく讒妒の説を聽き、無辜の罪を致すを以て、身は極誅に嬰かり、禍ひは家族に及び、天下の臣妾、咸く怨痛を為す。勃海王悝は、桓帝の母の弟なり。國に處りて藩を奉じ、未だ嘗て過有らず。陛下曾ひて證審せず、遂に其の辜に伏す。昔晉侯失刑し、亦た大厲の髮を被ること地に屬くるを夢みる。[四]天道は明察にして、鬼神は誣ひ難し。宜しく并せて改葬し、冤魂を安んずるを以て、宋后の徙家を反し、勃海の先封に復し、以て厥の咎を消すべし。」帝用ゐること能はず、尋いで亦た崩ず。

霊帝は後に夢を見て〔夢の中で〕桓帝が怒って次のように言った。「宋皇后にどんな罪があったというのだろうか、それなのに〔お前は〕小人の言を聞き入れて、皇后の命を絶たせたというのか。勃海王の劉悝は既に自ら官位を落とし、その上誅殺されてしまった。今〔王妃の〕宋氏と〔王の〕劉悝は自ら天に訴え出ており、天帝は激怒し、[一]〔お前の〕罪は救いようが無くなっている。」この夢は極めて物事をはっきりと見抜いていた。霊帝は既に夢から覚めて〔桓帝の言葉を〕恐れ、羽林左監の許永に尋ねて[二]言った。「この夢は何の前兆であるのか。やはり〔皇后を陥れた小人を〕排除する方がよいのか。[三]」許永は答えて言った。「宋皇后は自分で直接陛下と共に国家を受け継ぎ、母として天下を治めることといったら、何年にも渡って既に〔その期間は〕長く、天下は教化を受け、悪事〔の噂が〕聞こえてくることはありませんでした。それなのに〔陛下は〕無駄に他人を陥れる〔小人の〕言を聞き、無実の罪を導いて、〔罪を得た〕身は最も重い問責を被り、禍いが家族に及び、天下の男女の召使いは、皆恨みを抱いています。勃海王の劉悝は、桓帝の母の弟にあたります。〔勃海王は〕領国に留まって封国を謹んで受けており、以前に過失はありませんでした。〔しかし〕陛下は〔勃海王に〕謁見して取り調べを行うことなく、そのまま〔勃海王は〕罪に服しました。昔晋侯は刑を執り行わないうちに、大鬼で髪が地面まで垂れているのを夢に見ました。[四]天の意志は物事をはっきりと見抜いており、鬼神は騙すことが難しいのです。〔宋皇后と宋鄷親子〕を併せて改葬し、無実の罪でなくなった魂を鎮め、皇后の家を転居したのを戻し、〔勃海王は追贈して〕勃海の旧領に戻し、そのあやまちを除く方がよいのです。」〔しかし〕霊帝は〔この意見を〕用いることができず、まもなく亡くなった。

[一] 上帝,天也.震,動也.書曰「帝乃震怒」也.

[一] 上帝とは、天のことである。震とは、動のことである。書にいう。「帝はそこで震怒した。」

[二] 續漢志曰:「羽林左監一人,秩六百石,主羽林左騎.右亦如之.」「永」或作「詠」.

[二] 続漢志にいう。「羽林左監は〔定員が〕一人で、俸給は六百石で、羽林左騎を統率した。右についてもこの通りである。」「永」の字は一説に「詠」とする。

[三] 攘謂除也.

[三] 攘は除のことである。

[四] 左傳曰:「晉侯夢大厲,被髮及地,搏膺而踊曰:『殺余孫,不義,余得請于帝矣.』」杜預注曰:「厲鬼,趙氏之先祖也.晉侯先殺趙同、趙括,故怒也.」

[四] 左伝にいう。「晋侯は大鬼を夢に見、〔鬼は〕髪は地面まで垂れており、怒って体を高く真っ直ぐにそびえ立たせて言った。『〔お前が〕私の孫を殺したのは、不義であるから、天帝にお願いすることができるのだぞ。』」杜預の注にいう。「厲鬼は、趙氏の先祖である。晋侯は以前に趙同、趙括を殺しており、それで怒ったのである。」


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