我的三国志

>> 三国志介紹 - 10




■□徐州征討戦


徐州牧の陶謙は、幽州の公孫瓚と結んで袁紹と対立していました。陶謙は袁紹派の曹操を攻撃して任城を攻略したため、曹操は兵を率いて徐州を攻め、十余城を陥落させました(第一次徐州征伐)。

第一次徐州征伐の後、陶謙は瑯邪郡に避難して曹操の父曹嵩を殺害します。
これに激怒した曹操は再び徐州に侵攻し、数十万人の民衆を虐殺しました(第二次徐州征伐)。

この大虐殺によって徐州の人材は江南へと流れ、徐州征討は曹操の人生最大の汚点と言われることになります。


■□兗州争奪戦


曹操が第二次徐州征伐を行っている隙に、度重なる徐州侵攻で曹操に愛想を尽かした張邈や陳宮は曹操に対して反旗を翻し、諸侯の元を転々としていた呂布を引き込んで兗州全域を制圧し、曹操から離反させました。

このとき留守役の荀彧、程昱は呂布の猛攻にも耐えて鄄城・范・東阿の三県を死守し、曹操の帰還まで持ちこたえます。両軍は百日に渡って対峙しますが、飢饉のために退却を余儀なくされます。

翌年、曹操は呂布を大敗させ、呂布は陶謙の後を継いだ徐州の劉備のもとへ敗走し、張邈の三族は皆殺しとなりました。張邈は袁術のもとに救援要請に赴いたが、途中で部下に殺されてしまいます。

こうして曹操は1年かけて兗州を奪回し、再び平定しました。


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