我的三国志

>> 三国志介紹 - 5




■□李郭の乱


呂布を追放して王允を誅殺した董卓の旧将は長安で政権を掌握し、好き勝手に任官を行って朝政を壟断しました。李らは兵を放って略奪を働いたため、当時存在した長安付近の10万戸の民衆は、飢餓に苦しんで二年のうちにお互いを食らいあって死に絶えたと言います。

しかしこのような悪政も長続きしません。やがて長安政権の内部では権力闘争が起き、李と郭汜は仲間割れをして長安市内で戦闘を繰り広げます。この争いは張済の仲介によって一時和解を迎えますが、この隙に乗じて献帝は長安を脱出し洛陽へと向かいます。郭汜は献帝の奪還を図って追撃しますが、董太后の甥董承や李の部下だった楊奉らに守られて追撃を振り切り、河東の白波賊の韓暹や河内の張楊の助けを借りて、やっとのことで洛陽に帰還することとなります。


■□関西諸将の崩壊


献帝は洛陽に帰還しましたが、董卓の放火・略奪によって都市が荒廃していたため、曹操に迎えられて許へと移りました。曹操は武将を遣わして関西(函谷関以西)の諸将に命じて李を処刑しました。郭汜は部下の手にかかって殺され、張済は南陽で略奪を働いたため住民に殺害されて甥の張繍が兵を率いることになります。こうして董卓の旧将は滅び、献帝を手中に収めた曹操が次の権力者として台頭することになります。

一方涼州一帯を勢力下においていた馬騰と韓遂は、お互いに攻撃しあいますが、のちに曹操の親征によって崩壊することになります。


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