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我的三国志
>> 三国志介紹 - 7
■□冀州譲渡劇
反董卓連合軍の盟主袁紹は冀州牧の韓馥と共に、董卓の傀儡となっている皇帝に代わって新たな皇帝の擁立を画策し、皇族の中でも年長者である幽州牧の劉虞を皇帝に立てようとしました。しかし劉虞が即位を頑なに断り続けたため劉虞擁立は結局失敗に終わり、当時幽州一帯に勢力を伸ばしていた公孫瓚が董卓討伐を名目に冀州侵攻を始めます。
経済基盤のない袁紹は公孫瓚の冀州侵攻で慌てた韓馥につけ込んで、荀爽や甥の高幹を韓馥の元に遣わして、冀州を袁紹に譲るよう説得させました。韓馥は色々と策を講じますが結局部下の諫めも聞かず、袁紹に冀州牧の位を譲渡することとなり、袁紹は韓馥からまんまと冀州をだまし取りました。
後に韓馥は袁紹に殺されることとなります。
■□董卓の反撃
反董卓連合軍蜂起の知らせを受けた董卓は、連合軍盟主の袁紹を懐柔するために使者を派遣しますが、袁紹は河内太守の王匡に命じて董卓の使者を斬ってしまいます。これを受けて董卓は当時朝廷で太傅の位に就いていた袁隗らの袁一族を処刑し、洛陽に最も近い河内へ侵攻して、使者を斬った太守の王匡を殺害しました。反董卓連合軍が洛陽進攻を始めると、董卓は廃位した少帝を殺害して長安へと遷都します。
しかしせっかくの連合軍も、結局は各々の諸侯が領地の保全を図るあまり、これ以上の追撃に消極的な姿勢を示すようになります。諸侯が自己の権益のみを考えて進撃の足を止めるので、曹操は単身駐屯地の酸棗を発ち、董卓軍を追撃します。これに対して董卓は武将の徐栄を滎陽に派遣し、寡兵の曹操を打ち破ります(滎陽の戦い)。兵を失った曹操はその足で揚州に逃れ、揚州刺史陳温と丹楊太守周昕から四千の兵を借ります。しかしこの丹楊兵が曹操に対して反乱を起こしたため、千人あまりを率いて河内に駐屯することとなります。
一方連合軍内部では兗州刺史劉岱が、仲の悪い東郡太守の橋瑁を殺害します。
こうして連合軍は徐々に崩壊の様相を呈し始めます。
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