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「ポルノは理論、レイプは実践」―――『レイプ・クライシス』学習会
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ジェンダーバランスの極めて劣悪な状況で、『レイプ・クライシス』(90年)をまと めた女性メンバーのチュータで学習会を行ったこと自体、チューターのミドリさんにとっ ては大変だったろう…
初めに、本書に掲載されている様々のポルノ写真などを一つ一つ、これのどこが問題 なのかを解説してもらった。そして、これらポルノが男女の権力構造の不均衡の上に 成り立って、日々女性差別を強化し、「強姦文化」なる異性愛男中心の性差別社会が 形成されていることを告発した。
また女性の「性」には「産む性」と「娼婦の性」という二つのオトコのための性が、 社会的に強制されており、明治以降の家父長制の強化によってさらに強まった事を報告。
現代においては、モノ化された「性」がよりいっそう「純化」し「商品化」され、それを消費するのは社会的権力者であるオトコが中心となっている。氾濫するポルノはその象徴であり、強姦はその際たるものである。
「ポルノは理論、強姦は実践」というフレーズが頭をよぎる。
このような不平等が、「愛」という象徴でおもに女性に強制され、差別を受け入れさせる。
そういった「情報」が社会的に強制されるなかで育ったのがまいけんのメンバー。それぞれの体験や感想を出し合った。おなじポルノを見てもきっと男と女では感じ方が違うのだろう。それは殺す側と殺される側の違いに等しい、「女」をオトコから強制される、職場でのはなし、運動のなかでの性差別、オトコたちのポルノ共同体……、話は尽きない。
アメリカでのテロ事件がまだ記憶に新しいが、よくよく考えて見れば日本社会のポルノの氾濫は、まさに女性に対するテロリズムではないか。媚び、服従し、演出し、虐げられ、強姦されることを強制されつづけている。ポルノというテロリズムが彼女たちにそうさせているのだ。テロリズムと同じく、法規制だけでは、ポルノはなくならない。本当に一人一人が尊重しあい、性を自らのものとして管理でき、誰からも強制、抑圧されない。そんな社会を目指すなかで、ポルノというテロリズムも解体されていく。それは規制が必要ではない、ということとは全く逆であり、この規制を加えていくのが、そのような社会を目指す力である事をあらわしているの過ぎない。
ただ、これは誰かがやってくれるのを待っているのでははじまらない。まいけんのなかで、女性がイニシアチブをもって活動を担っていく、ジェンダーバランスに配慮する、社会的権力者は謙虚になる、そして現実の女性たちの闘いのなかで学んでいくこと、まずはそういうことだろうか。
ミドリさんが提起したレジメを見ながらこの原稿を書いている。このレジメ、そして今日共有したあの空間こそが、そういった自由な未来への希望である気がしてならない。
2001年9月23日(拝一党)