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学習会レジュメ |
チューター 純ちゃん
中味のない小泉内閣の「改革」だが、明確にしているのは「改憲」と「靖国公式参拝」だ。
「私人も公人もない」「何が問題だかわからない」などと小泉ははぐらかすが、この30年来(もっとか?)の「靖国論争」を知らないわけはない!
*歴史
1869年(明治で言えば2年。明治維新のまさに翌年ですね)、戊辰戦争の官軍戦没者の慰霊のため「東京招魂社」として設立される。その10年後「靖国神社」に改称。
もちろん、戊辰戦争の賊軍戦没者や西南戦争の「反乱者」西郷隆盛、秩父一揆参加者が祀られているわけはない。なぜなら「天皇のために命を捧げた」が祀られる条件だからだ!
1900年には内務省に「神社局」が設置され(他宗教との区別化、国家神道の国教化。よーするに国がカルトを保護・運営すると決めたわけ)、神官は「官使」(よーするに役人)となった。そして、「靖国」の管轄は陸・海軍省直轄。「靖国神社」が明治維新から、日本の「近代化」「富国強兵」そして侵略戦争へのコースに、かなりしっかりと位置付けられてきたのがわかる。
ごく簡単に言えば、「靖国」とは「国のために安心して死ねるイデオロギー装置」だ。戦死しても国が「英霊」として責任もって祀るから、安心して戦争で天皇に命を捧げろ、というものだ。
その結果が侵略戦争によるアジア二千万人、日本人300万人の犠牲者が出たことは深く考えなければならない。もちろん、軍人のための施設が「靖国」だから、アジアの戦争犠牲者や空襲・原爆の被害者は「祭神」から除外されている(まあ除外されなくても問題だが…)。
*戦後
敗戦と占領によって、「国家神道」は解体される。GHQは45年12月、「神道指令」を発布。国による「神道」の保護の禁止、学校での神道教育の廃止・禁止、公共施設の「神棚」の撤去を命じた。
さらに重要なのは、戦前の国家が宗教をコントロールし、民衆を「神(天皇)」の名のもとに戦争に動員した教訓の反省を持って、新憲法では「信教の自由」「政教分離」が明確にされる。
しかし!
好戦勢力による「靖国」の巻き返しは早かった。51年には時の首相・吉田茂が「秋季例大祭」で参拝。朝鮮戦争勃発、警察予備隊(自衛隊の前身)設立、レッドパージの翌年であることに留意を。
自民党や保守反動がもくろんでいるのは一貫して≪国(軍隊)が所持する神社⇒敗戦によって一宗教法人に⇒もう一度国の神社に≫というものだ。69年に「靖国神社護持法案」が自民党から提出される(以後5回にわたって)。5回とも廃案になるが、そこで「草の根署名運動」として「靖国の国家所有」を自民党がでっち上げていく(日本遺族会、英霊にこたえる会など、ことごとく自民党の最大の支持基盤)。
「靖国護持法案」には「過去の戦争をたたえるべき偉業として、永遠に後世に伝える」などの文言が入っていた。
「草の根署名運動」と並んで自民党が位置付けたのが「首相・閣僚による(公式)参拝」だ。75年、8月15日にはじめて首相(三木)が参拝する。三木は「私的参拝」を強調して「公用車の不使用」「玉串料を国庫から支出しない」「記帳には肩書きをつけない」「公職者を同行させない」などをもって「私的」とした(小泉の「ボディガードが24時間ついている私に私人・公人もない」という発言には、こんな意味があるのだ)。
以後首相の8・15参拝が定例化されるが、「国庫支出」の問題以外はなしくずしされていく。「公私」の区別もあいまいにされた。
中曽根!
でとうとうこの名前の登場。82年に「戦後政治の総決算」を掲げて、中曽根内閣が誕生する。中曽根は「行革」とともに「靖国」を最重要課題に位置付け就任して二ヵ月後には「靖国」に初詣に行く。84年には「閣僚の靖国参拝に関する懇談会」(靖国懇)を設立。「公式参拝は合憲」という回答を出せと指示を出す。また85年には自民党の勉強会で「国に殉じた人を国民が感謝するのは当然のこと。さもなくば、誰が国に命を捧げるか」と発言、物議をかもした。
1985
8月9日、「靖国懇」は「参拝の方法などに配慮すれば、公式参拝も合憲」という回答を出し、中曽根はそれを受けて、15日に「公式参拝」を強行、国内外の強い非難を浴びた。
その内容は「玉串料」を「供花料」に言い換え(もちろん国庫から支出)、拝礼は手を叩かず一礼した。これで「宗教的儀礼にのっとったわけでないから合憲」というわけだ。
こんな詭弁が国内外に通用するはずもなく、それ以後、8月15日に「靖国」に参拝した首相はいない(最近で言えば96年に橋本が自分の誕生日に参拝、00年に石原が「都」知事として参拝)。
*「政教分離」と「靖国」
「靖国」への首相などの公的資格をもっての参拝は「憲法違反」であるとの判決は、相次いで下されている。
91年の「岩手靖国訴訟」判決……「(公的資格の参拝は)国又はその機関が靖国神社を公的に特別視し、他の宗教団体に比して優遇的地位を与えているとの印象を社会一般に生じさせ、…国の非宗教性ないし宗教的中立を没却するおそれが極めて大きい」「天皇が参拝すれば、内閣総理大臣のそれとはくらべられないほど、国家社会に影響を及ぼす」として、岩手高裁は公式参拝を「意見」と判断。この判断は確定した。
その後も92年福岡、大阪、97年愛媛などで、裁判所によって「公式参拝は違憲の疑い」との判断が下されている(類似裁判に82年の自衛隊合祀事件裁判、77年の津市地鎮祭裁判)。
*A級戦犯問題
東条英機ら、東京裁判でA級戦犯に認定され処刑された連中も「靖国」で「昭和殉難者」(殉難かよー…)として祀られている。昨年、自民党の野中が「A級戦犯を分祀すれば公式参拝もいいのでは」と語った。中国政府は、その問題をクリアすればOKと言っている。
中国政府は、従来から「戦争の責任は軍国主義にあるのであって、日本人民にはない、と思っている」と語っている。「日本人民」がこの「寛大」さに甘えるのはいただけない。たとえ、東条らが「分祀」されても、私たちを戦争に狩りたて、「天皇のために死ね」と強制する「靖国」に反対しなければならない。
もっとも「靖国」側は「最近は『東京裁判史観』の見直しも進んでいるのだから、『分祀』などありえない」などと語っている。歴史修正主義と「靖国」とのたたかいは一体である証左だ。
*で小泉
ほんとうは森が「公式参拝」を再開するつもりだったのが「日本は天皇中心の神の国」発言が物議をかもし、頓挫。その「意思」を引き継いで小泉は、おなじ森派の「ウルトラタカ派」として「公式参拝」を公言している。小泉は「いざという時に命を捨てることに敬意を持つ」「米軍が攻撃を受けた場合、日本が何もしなくていいのか」と「集団的自衛権」の行使を容認する発言を行っている。まさに、「新ガイドライン」「有事立法」を想定した「戦争のできる国」のためのイデオロギー装置として、「靖国」を位置付けているということだ。
小泉内閣は、「教科書問題」で(つくる会教科書は)「明白な誤りはないから、これ以上修正できない」などと言いながら、「韓国との関係は重要な外交の柱の一つ」などと無茶なことを言っている。本音は、韓国中国などアジア諸国との関係が悪化しても軍事大国化を断固推進する、ということであり、そのデモンストレーションが「靖国参拝」なのだ。その先にあるのは、憲法改悪、武器輸出解禁、PKF凍結解除した上での自衛官が死亡することも前提とした本格的な海外派兵だ。
愛媛玉串料訴訟判決には「(戦前)情勢の急変に十年を要しなかった」「些少と思われる事態が既成事実となり、積み上げられ、取り返し不能となる状態になることは歴史の教訓」と判決文で述べられた。まったくその通りだ。
日本に再び取り憑いた軍国主義の亡霊を払拭し、日の丸・君が代、侵略の歴史歪曲と教科書、そして「靖国」へと連なる右派の大攻勢をアジアの人々とともにはね返していかなければならない。